【読んだ】太下義之『アーツカウンシル アームズ・レングスの現実を超えて』

アーツカウンシル アームズ・レングスの現実を超えて (文化とまちづくり叢書)
▼アームズレングスなる原則があると。本書の文脈においてこれは、助成団体たるアーツカウンシルが政府と一定の距離を保つ事を指すと。でもまぁ普通に「え、アーツカウンシルって公的機関っぽいけどそんなんできるん?」ってなるけど、まぁ案の定絵に描いた餅で、今まで一度も実現されたことはなかったいうのを海外の事例の分析を通じて示す。むしろ文化政策の予算増額や総合政策化等々、一見すると望ましい動きがある度にアームズレングスの理念は阻害されていく(政策進化のジレンマ)。この辺は昨年末に訳出された『文化資本』にも詳述されている。

▼本書は、上述の様な現状を見据えた上で、それでもなおアームズレングスなるものを踏まえた制度設計を試みるもの。アームズレングスは具体性を欠いた理想論であるという事を割と最初にゲロった上で、日本版アーツカウンシルやるとしたら日本の特殊性に合わせてこの理念を揉まないとダメだよと。で、日本の政策意思決定構造や地方政治の状況をみるとどうかっていうと、むしろ政策提言とか議会説明とか、政治との密なコミュニケーションの方がむしろ必要なのでは?と。まあ、アームズレングスの本質的なエッセンスを失わず、しかし理念としての揉み込みはもっと必要だよね、という当たり前の(しかしあまりやられてこなかった)話かと。

▼日本の文化行政の現状を分析するにあたっては、当然55年体制的な戦後の経済状況を踏まえないとダメだよ、と。当たり前だけど、90年台の文化施設の建設ラッシュってアメリカからの内需拡大要求に伴う地方債の乱発があって、という生々しい話があると。その上で、これって要は単にハコモノで文化的な動機なんてなかったよね、という事を率直に示している辺りは、政策決定者だけじゃなくて学生とかちゃんと読むべきだと思いましたね。文化政策の議論なりなんなりの話をする中でこの手の話を見ないフリしてる場面って昔からよく見るんですけど、そういうの本当にヌルすぎる。本書の中で、公共ホール(びわ湖ホール)が議会にイチャモンつけられた話が出てくるのですが、おそらくは「真面目に考えとかかないといつでも潰されるぞ」という危機感を筆者が示しているのではないかと思いました。

▼アーツカウンシルの役割について。本書で示されるのは「助成事業」「パイロット事業の実施(ケーススタディの構築)」「調査研究に基づく政策提言」だとする。この内、やっぱり調査研究はめっちゃ大事だよねと。とはいえ、日本で「文化的な動機」ってどこに見いだせるんだろう?というそもそもの疑問は拭えない。

▼日本の文化行政の現状と照らし合わせるならば、例えば指定管理者としてシノギを得てる自治体の外郭団体とかがつまんないことばっかりやってるのとかみると、調査研究の重要性を喚起するのはとても大事なのだと思います。あの人達って「(結果論的な)財政的な安定性」と「専門知のストック」を維持する事くらいしか強みないでしょ。ただ、「いつまでも外郭団体にハコモノ仕切らせると思うんじゃねえぞ」みたいな話自体はよく聞くけど、とはいえその反面、あーゆー連中が一生懸命になってるのって結局行政や議会との関係のメンテナンスなのかも、とも思っていて、その辺の実態はようわからん。

▼なんか、この記事を思い出した。
http://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/review/0612_01_03.html

アーツカウンシル アームズ・レングスの現実を超えて (文化とまちづくり叢書)

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文化資本: クリエイティブ・ブリテンの盛衰

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