【読んだ】佐藤健二『風景の生産・風景の解放―メディアのアルケオロ

風景の生産・風景の解放―メディアのアルケオロジー (講談社選書メチエ)
■「風景」とはすなわち「物事との距離を策定し対象化させたもの」とかそんな感じの定義なのかと。近代において風景は経験ではなくて文学的な想像力に基づいて生み出されたと。それは風景の定型化(=死物化)をもたらしたのであり、それを批判したのが柳田國男やと。

そもそも、古い/新しいという区別は、そのことばの表面で示されている価値以上に、区別を支えている根拠の考察の方が重要である場合が多い。だからこそ基準づくりの実践のなかにひそむ、歴史の感受性拘束を批判し、概念や表現の不自由をあきらかにすることが大切になる。(P178)

近代の「風景」観にひそむ、もっとも基本的な特徴は、自然の死物化という傾向であった。[...]すなわち風景記述の定型化、風景を表現する文体と享受のマンネリズムという社会文化的なプロセスである。(P184)