【読んだ】千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』

勉強の哲学 来たるべきバカのために
■勉強とは「アイロニー=ツッコミ=根拠を疑う事」という縦の軸と「ユーモア=ボケ=見方を変えること」という横の軸の双方を拡大する事だと。とはいえ双方ともに拡大し続ける事は不可能で、有限化が必要だと。ここでアイロニーを強制的に切断するのが「決断主義」なんだが、それは他者への絶対的な服従なのでやっぱあかんと。従ってアイロニーをユーモアに転化する事が必要だと。でもやっぱユーモアの軸もどこかで切断をせねばならず、そこでは個々人の享楽を使う(=バカになる)といいと。ただ、享楽的なものも変化可能なもので、そこでの切断は「仮固定」みたいにイメージしておくと。で、その享楽的なものを相対化するのに年表とか作ったりするのが有効なんやで、と(P145-P167辺り)。

■色んな読み方に開かれている本だと思うけど、僕はかなり自意識をエグられつつ、元気が出たなー。潔白主義的に物事を捉えすぎたり、関心が派生しすぎたりして具体的なアクションを起こせない感じは結構昔からツラかった。例えば宮台真司が言った感染同期とかってのはまさにアイロニー決断主義的に切断する作法だと思うんだが、やっぱりそれは「強さ」が必要だ(し、どこまでも説教でしかない)よなあ、とか思ってたので。年表を作るとか、ノートを記録ではなくアイデア出しに使うとかってのは、道具として「外部化」を使うって事だと「理解」したけど、なかなか偶然性を信頼できない自分の癖を直すのにこれは結構マジで使えそうだと思った。

勉強の哲学 来たるべきバカのために

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