【読んだ】森山至貴『LGBTを読みとく: クィア・スタディーズ入門』

LGBTを読みとく: クィア・スタディーズ入門 (ちくま新書1242)
■お題目としてではなく、各論に至るまで「学問知なめんな」というコンセプトが一貫してるのが痛快。冒頭、差別や暴力の問題について「道徳」や「良心」の問題として扱われがちな事を批判し、知識に基づいた判断や行動が必要であると指摘される。無論それは個人の想像可能性の限界等々を見据えた要請というのもありつつ、クィアスタディーズが不断の学問知の議論の積み重ねの上にある事にもよっているかと。なのである意味では学問の有用性の証明を意図してるようにも見える(「学問が意義を持つと主張するためには(P18)」「議論がうまくいけば、[…]重要な論点があることを指摘できるはずです(P158)」等々)。大仰かもしれないけども、ある種メタ的な位置取りをしつつ、同時に切実に、戦略的な方法論とポジショニングの選択をする感じはサイード(=グラムシ)が言う所の有機的知識人の振る舞いを体現している様にも見える。

クィアスタディーズに至るまでにはレズビアン/ゲイ・スタディーズやトランスヴェスタイトトランスセクシュアル、トランシュジェンダー等々様々な運動があると。各運動の中で生じた問題点を解決するために不断に別の概念が生み出されていく感じは、かなり「発展的な」歴史に見える。例えば「同性愛」や「トランスジェンダー」の概念の形成は社会からの抑圧の道具として使われる一方、それによって当事者のアイデンティティの形成にも繋がり、コミュニティの社会運動の形成にも繋がったと。しかしアイデンティティに基づくコミュニティの形成は、同時に排他性を伴ってしまい、また、HIV/AIDSの問題はアイデンティティの獲得をもっては対応できない事態をもたらしたと。そういう問題点を見据えた上で生まれたのがクィアスタディーズだと。