【読んだ】小泉義之『生殖の哲学』

生殖の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)
パンクである。「リベラリズムは使えない、科学者もわかってない、フェミニストはヌルい」みたいなな感じで全方位に刃を向ける。主張としては生殖技術および生体情報のコモンズ化、性と生殖の分離、等々。『生と病の哲学』の方が時を下っているので、豊富な事例を元に綿密な議論が読めるけど、グルーヴ感を体感するならばこっちの方が良いかも。後でまたまとめ直すとして、以下、気になった文言を。

従来からの性と生殖の制度を守ることを非難しているのではない。従来からの性と生殖の〈外部〉に対して寛容でないことを非難しているのである。

優生思想という差別思想に対する批判は依然として必要ですが、むしろ、有望な怪物論に含まれる精神を徹底的に理論化する事を通して、根底から足払いすることが必要不可欠なのです。

私の信条ですが、倫理的に間違えていることは絶対に理論的にも間違えていると信じています。そう信じることが、理論家の倫理だと思います。

私は、慎重を期すなどという生温かい批判を口にするよりは、端的に生殖技術の一切を破壊する新ラッダイト(機械打ちこわし)運動を起こすべきだと思う一方で、推進の名の下で姑息に医療費や研究費を稼ぐよりは、可能なことはすべてやれ、やれることはすべてやれと言いたい。この間、あれこれと考えてきたが、後者の立場に立つことを決めた。

古いタイプにせよ新しいタイプにせよ、優生思想を批判したいなら、こせこせした文句を小出しにするのではなく、まっすぐに、障害者(原文ママ)を生むべきであると主張すべきです。こう言い切ろうとすると、たしかに躊躇いが湧きます。何だかんだ言っても、親は苦労する。苦労させられる。親の不利益になる。不利益を被る。しかも、社会の不利益になると語られる。だったら、どう進むべきか。方向は明らかです。親子関係と夫婦関係という概念を解体することです。

要するに、いかなる子どもであれ、子どもを生み落とすだけで放置したって、何の問題にもならない社会を構築することは簡単であって、本当の問題は、その程度のことを誰も想像してみることすらできなくなっているということです。

あと皆さん言及されていますけど、やっぱりこれは感動的

率直に言ってしまいますが、私は、障害児(原文ママ)がたくさん生まれたほうが、少なくとも、闇に葬られている障害胎児(原文ママ)を生かすだけで、よほどまともな社会になると考えています。街路が自動車によってではなく車椅子や松葉杖で埋められているほうが、よほど美しい社会だと思う。痴呆老人が都市の中心部を徘徊し、意味不明の叫びを発する人間が街路にいるほうが、よほど豊かな社会だと思う。そのためには何をなすべきかと問題を立てています。

最近の彼の発言だと、人民新聞に載ってた廣瀬純との対談とかぶっ飛んでて面白かったんだけど、残念ながらHPから消えている。あとはこの論文とかのリベラリズムdisってる感じも面白い(きちんと大学HPで公開されてるPDFです)。
https://goo.gl/laLHAQ

生殖の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)

生殖の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)