【読んだ】立岩真也『自閉症連続体の時代』

自閉症連続体の時代
■病の定義や、診断や治療がなされる時、そこには一定の社会的な権力性がある事を著者はまず認めている。それは「医療化批判」としてこれまでも言われてきたことなのだけど、しかし一方、こうした社会構築的な医療的対処にはメリットもあると。例えば生理学的な診断は当事者や家族への理不尽な帰責を防ぐ事ができるし、何よりも診断によって安心をする当事者がめっちゃいると。もちちろんそこに慎重な態度が必要なのは言うまでもなく、例えば原因を探る事と対処法は全く別の問題であるべきである、といった事は幾度も強調される。

■とはいえ、例えば発達障害やら何やらと言われるものが目立つ様になったのは三次産業化に伴う労働環境の変化である、といった具合に、やっぱ病の定義が社会の状況に規定されるのは間違いなく、行く行くは診断や治療が必要ない社会を目指すべきだよね、と。

■確かに筆致は独特で、のらりくらりとして焦点が掴みにくいのだけど、おそらくは「結論を急がない」「対立構造に頼って主張を強化させない」「主張を先鋭化させない」「処方箋の提示だけを目的化しない」(そしてこういうまとめ方をしない)といった感じの狙いなのかな、と思った。あと邪推だけど、この書き方は「当事者側からの」批判をかわす事も出来るのかな、と少し思った。いずれにせよ、書き手として誠実であるのと同時に、読み手にも誠実さを求める書き方だと思うので、結構読むのに骨は折れる。

■あと、やっぱりこの本(人?)は理念の話をしている。有用ではあるのだけど、その有用性は即時的なものではなく、かなり長いスパンでの視野をもった時にはじめて効力をもつものなんだと思う。なので、やれ理想論だとか、抽象的だとか、そういう批判をあてるのはお門違い、というか無粋。

自閉症連続体の時代

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